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2014-01-15 (Wed)
僕は今でこそ中野区議会議員をしていますが、若い頃は自分の作品(写真)を売って生活していくことを本気で夢見ていた元アーティストでした。

ライターに対して小説家があり、イラストレーターに対して画家がいるように、僕は商業ベースの「プロカメラマン」ではなくて「写真作家」を目指していました。

写真作家になるためには、まずは作品を売って生活しようと思って、中野サンモールや原宿表参道の路上で写真作品を販売したりしていたこともあります。表参道では警察に、サンモールではヤクザに絡まれたりもしました(笑)あ、警察に「絡まれた」という発言は取り消しておきます(笑)

そうした、創作活動&販売活動をして、いろんなジャンルのアーティストとの交流をしたり、自分の作品を気に入ってくれたお客さんとの交流をしたりするのが楽しくて、2~3年ぐらいアーティスト活動を続けて、路上での作品販売額も100万円ぐらいにはなりました。

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たぶん、僕は、日本で一番、路上で写真を売った男なんじゃないかと思ってます(笑)

30歳になったのをきっかけに、「今は貧しくても好きなことをやっていればいいけど、このままずっと貧しい生活は嫌だなあ…」と思い、写真スタジオに年齢詐称して潜り込み、2年間の修行を経て、フリーのプロカメラマンになり、その後いろんな紆余曲折を経て、現在にいたっています。

てなわけで、僕は芸術に命をかけていたこともある元アーティストなので、芸術文化の振興にはとても関心があります。

しかし、芸術文化は金を消費するけど生み出さないし、それがなければ生きていけないようなものでは決してなく、最低限の生活を送る上での優先順位は決して高いものではないという観点から、政治家としては、芸術文化振興は後回しの課題にしてきました。今回あらためて考えてみると、芸術文化は、たぶん、票にもあまりならないんじゃないかな?

今までの政治家が芸術文化振興をあまり掲げてこなかった理由の一つには、やはり、芸術文化は票にならないということがあると思います。


芸術家は自己中心的な人が多いですからね。選挙行かない人も少なからずいるんじゃないでしょうか(笑)

でも、この下の記事を読んで、区が一丸となってイロイロ変えていけば、新しい展開も開けるということに希望が持てました。僕自身、「東京行灯祭」や「川島商店街クリスマスコンサート」など、多数のミュージシャンやアーティストと一緒に地域活性化のためのイベントを手がけ、手応えを感じつつあるところでもありました。

今年は川島商店街でコスプレイベントを手がけようと計画中です(笑)

中野区にはいろんな芸術文化の芽がたくさんたくさんあります。この芽をつぶすことなく大きく伸ばしていくために、政治家として何をするべきか、これから考えてみたいと思います。

そう思ってここ1日ぐらいイロイロ考えてみたのですが、今まであまり芸術文化の振興を唱える政治家がいなかったのであれば、だったら僕がそれを訴えていってもいいのかなという気がしてきました。

僕自身が元芸術家であったということ、中野区には芸術文化の芽や資源がたくさんあるけれど、行政からのサポートはほとんどなく、せっかくの地の利が有効に生かされていないこと、あとは、区議会議員は42人もいますから、一人ぐらいはそういう突拍子も無いことを言い出す奴がいてもいいのかなと…(笑)

芸術で食う」街に変貌?池袋の大胆改革
借金23区ワースト1から、文化の街へ大改造

梅咲 恵司 :東洋経済 記者

山の手線内の一等地に立地する大都市ながら、新宿や渋谷ほどの活気やにぎわいがない――。なんとなく残念な印象のあった池袋が、近頃大きく変貌している。「週末がにぎやかになった」「若者も安心して立ち寄れるようになった」との声が、頻繁に聞かれるようになったのだ。
実際、週末には街中で、音楽祭や演劇などのイベントが頻繁に開催されている。街のイメージの変化とともに、住まいを池袋に移す若い世帯も着実に増えている。
こうした変化の背景には、池袋を擁する豊島区の「大胆改革」があった。改革を率いるのは、古書店の店主や、地元商店街の青年部長を務めた高野之夫区長。周囲の冷たい視線をよそに、1999年の就任時から文化事業に力を入れ、街を“変革”してきた。
なぜ、池袋に「文化による改革」が必要だったのか? 高野区長に聞いた。
「文化で飯は食えない」と袋だたき

――最近、池袋を訪れて驚きました。街全体に、なんというか明るい活気があります。イベントも多く開催されているようで、「大塚阿波おどり」に加え、4年前からの「フェスティバルトーキョー」(舞台芸術祭)や「おおつか音楽祭」(ライブ企画)、「ふくろ祭り」(踊りの祭典)も人気化しています。

「文化事業」の強化は高野区長の方針と思いますが、それにしてもなぜ、「文化」だったのでしょうか。

区長に就任した1999年当時、豊島区は財政難から閉塞感が漂っていました。なにしろ、土地開発公社の債務といった、いわゆる「隠れ借金」も含め、区の借金が872億円あったのです。これは区の一般会計と同じ規模で、区民1人当たりの借金は33万円。23区ではワーストだったと思います。

それをどう削減したかは後ほどお話しますが、とにかくそうしたことから当時、区の職員に元気がなかった。一言で表現すると、「やる気がない」。何かを打ち出そうと提案しても、「おカネがないからできない」「都や国から言われたことだけをやっていればよい」と、しらけた空気があったのだと思います。

お恥ずかしい話なのですが、区長になってからですよ、このような厳しい財政状況だと認識したのは。豊島区で生まれ育ったにもかかわらず、財政の細かい状況についての知識がゼロに近かったのです。

とはいえ、池袋は交通の便に恵まれた街です。東武東上線や西武池袋線の起点(始発駅)で、JRや地下鉄丸ノ内線、有楽町線、副都心線も乗り入れているため、1日の乗降客が250万人と新宿に次いで多い。にもかかわらず、輝きがないというか、目立たないというか、派手さ、明るさがない。

こうした現状をどうすれば破ることができるのか。そのためには、まず区の職員が夢を持たなければならない。そして、豊島区としてどういう目標を持ち、どういう街にしていくのかを明確にしなければならない、と思いました。

その結果、「文化事業」を打ち出す以外にない、と思い至ったのです。1980年代後半にバブルがはじけると、池袋では東武百貨店、西武百貨店などが美術館のブースを商品売り場に変えました。企業はどうしても、効率のよい形を求めます。確かに、文化はそれだけではおカネが生まれにくいので、一見すると効率が悪い。

しかし、文化事業は本来ならば、品格の向上につながり、やがて高所得層のお客さんを呼び込む効果が出てくるものです。自治体で展開する文化事業も、そのように人を呼び込む効果が期待できると思うのです。

資生堂名誉会長をくどき落とす

――とはいえ、ただ「文化事業の必要性」を唱えても、区の職員や住民にはなかなかピンとこないかもしれないですね。具体的にはどのようなアプローチをとられたのですか?

「文化による街づくり」という構想に具体的な肉付けをするために、文化に関する見識が高い福原義春さん(資生堂名誉会長。企業メセナ協議会会長や東京都写真美術館長なども務める)に、協力をお願いしました。

ところが、「豊島区の新しい文化をつくるために、委員長になっていただきたい」と言ったところ、あっさり断られました。「なぜ、豊島区で文化をつくらなければいけないのか」「豊島区で文化なんて育つわけがない」「区長、やめなさい。時間、おカネの無駄。懇談会や委員会をつくっても、行政は構想をつくることに一生懸命で、それで終わり。机の上に積んでおくだけ」と、もうさんざん。

それでも、私も粘って、「決して構想で終わらせません、必ず実現していきます」と、熱心に口説いた結果、福原さんは承諾してくださったのです。

この福原さんを委員長に懇談会をつくり、8回にわたる会合を開きました。福原さんも「受けたからには責任を持つ」と、すべての会合に出てくださいました。そして、2004年にこの懇談会が出した提言を基に、区が「文化創造都市宣言」を発表しました。

当時、区の組織を見ると、3000人いた職員の中で、文化関連を担当する人間はたったの2人だけ。しかも、そのうち1人は他部署との兼務でした。そこで文化商工部を設置するなど部署も再編し、10年近くかかりましたが、今や文化関連の職員は60人もいます。

さらに、行政が現場の運営までやるのは難しいので、外郭団体も整備しました。財団法人豊島区コミュニティ振興会社と豊島区街づくり公社を統合し、「財団法人としま未来文化財団」として再出発してもらったのです。ここが第一線で企画を立案し、文化イベントを運営しています。

当初は「文化では、ごはんが食べられないぞ」と、周囲から袋だたきに遭いましたし、職員もいい顔をしませんでしたね。文化事業というのは財政が厳しくなると先に予算が削られるものなので、私が就任する前は文化事業の予算はゼロだった。それでも、少しずつ予算を増やして、住民や職員の間にも徐々に文化の意識が浸透していきました。

区長室は、チケットブース

――とはいえ、財政難の中では、文化施設を建設するにしても限度があったのではないでしょうか。

確かに悔しいけど、立派な建物をつくることは、おカネがないからできませんでした。行政が大きな資金を出した事業は、サンシャインの近くにある舞台芸術交流センター「あうるすぽっと」ぐらい。

文化芸術創造の拠点として「にしすがも創造舎」というものを設置したのですが、これは学校の跡地とその校舎を利用したものです。公園や道路などオープンスペースを活用しており、イベントは区民の力も借りながら仕掛けてきました。

1989年から25回続いている「池袋演劇祭」は今や恒例となり、アルバイトをしながら演劇活動を続けている方を中心に、40団体も参加してくださっています。地味だけど、みんなが演劇を楽しむイベントです。

ただ、大賞でも報償金は30万円しか出ないんですよ。このほど行われた表彰式でも、「な~んだ、たったの3万円か」といった声が受賞者からあがったほどです。確かに、ほかの演劇の祭典に比べたら少ないのですが、おカネではなくて名誉になるような、今後のみなさんの活動の糧になるような形であってほしいな、と思っています。

――チケット販売には、区役所もかかわっているのですか?今、お邪魔している応接の入り口にも、チケットが置いてありました。

演劇やコンサートなどのチケット販売は、基本的には、先ほどの「未来文化財団」が担当していますが、できるだけ区長である私自身も、チケットを売りさばこうと頑張っています。自ら電話をかけてチケットを売るなど、区長室は一年中、まるでチケット売り場。「この人を押せば何枚売れる」など、マル秘ノウハウも蓄積しています(笑)。

イベントでいちばん大変なのは、なんといっても、お客さんを集めることです。すばらしい演劇、脚本などすべてが整っていたとしても、観客が入っていないと達成感がない。ところが、区長がセールスマンとなって販促をかけているうちに、「区長、チケットありますか」と声をかけられることが増えてきました。普段は演劇や音楽に接してなかった人たちが、関心を持ってくれるようになったのです。そういった観客の中には、自ら文化の担い手になる人も出てきています。

演奏にしたって、劇にしたって、わくわくするような高揚感があるでしょう。地域の催しを演者と観客が一体となって盛り上げるために、私がトップセールスをする必要があると思うのです。「草の根」とも言えますが、これがとても大事なのです。

――区長が文化と言うとき、どんなジャンルを想定していますか?

文化といっても、演劇や音楽だけに限りません。雑多な文化を取り入れていく方針です。ラーメン屋が増えてもいい、居酒屋が増えてもいい、それらもひとつの文化ですよ。「人が集まり、楽しめるのが文化」だと思っています。

外から来た人が池袋にどれだけ長い間滞在してくれるか。このことを、つねに考えています。コンサートや演劇で街に活気が出るだけでなく、しゃれた喫茶店やおいしいものを食べて和めるような場所があって、そのような余韻が街の中に漂っていてほしいと願っています。

文化は必需品じゃないけれども、人間らしさを育むものなので、なくてはならないもの。文化が起こるところには、にぎわいがあり、にぎわいのないところには文化は育たないでしょう。

23区初の「通年開庁」スタイル

――ところで、豊島区は新庁舎へ移転する2015年春から、「区役所を土日も休まずに開庁する」そうですね。区長は古書店の店主などの経歴をお持ちですので、「年中無休」といった小売店のような発想が出てきたのでしょうか。

ええ、私の底辺には「商人根性」があります。古書店の初代であった親父からは、「商人はサービスがすべて。『あのお店は今日開業してるのかな。休みじゃないかな』とお客さまにあれこれと考えさせることは、サービスの根本に欠けている」と、諭されてきました。

そこで新庁舎は土日も普段と同じように、朝9時から夕方5時まで開けます。また、新しい庁舎の最大の“売り”が「通年開庁」。休みは、年末年始と祝日だけです。

現在、毎週土日に開庁している自治体は、都内23区ですでに2区ありますが、実施業務は証明・届け出関係など10業務程度に限定されています。これに対して、豊島区は最大160業務を対象に検討しています。平日取り扱い業務の70~80%をカバーしようとしています。

同時に、窓口の仕組みも変えます。総合窓口を新設し、そこに最新システムを導入。さまざまな手続きがワンストップで提供できるようになるので、区民は複数の窓口を回る必要がなくなります。

――とはいえ、区の職員の方は大変ですね。大半の公務員はきっちり土日休みなのに、休めないわけですから。

確かに、現場の職員にとっては大ごとです。「4週8休のローテーションでの変則勤務」の体制を整える方向ですが、職員自身も働き方や仕事に対する意識を変えていく必要があると思っています。

職員を1000人以上削減する大ナタ

――冒頭で、膨大な借金の話がありましたが、あれはどうなりましたか?

1999年に区長に就任したとき、872億円あった借金は、今では250億円ほどに減りました。区民1人当たりの借金は、当時の33万円から2万2000円に。もう少し頑張ればゼロにできると思っています。


そもそもいちばんの問題は、職員の人件費だったのです。当時24万人の区民がいたのですが、職員は3000人もいました。人件費比率は32.6%と、20%台が多い東京都23区の中で断トツに悪かったのです。これは異常じゃないか、と思いましたね。

そこで、まず財政白書などを作成し、区民に現状をすべてお見せしました。いわゆる情報公開ですね。次に、売ることができる施設は売って、サービスを削って、ある意味、荒っぽい行政改革を展開しました。人を減らすことも徹底的にやって、10年間で職員は1000人以上削減しましたね。

この結果、年間の人件費を70億~80億円削ることができました。まだ23区の平均には届いていませんが、ここまで財政を改善することができました。

それには、やはり文化政策の貢献もあると思っています。良質なマンションの供給が増えたこともありますが、25~39歳の子育て世帯の流入が続いて(税収も拡大して)いるのです。文化が、にぎわいが人を引き付け、街が活気を取り戻した、と私は思っています。

(撮影:今祥雄)

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