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2012-10-22 (Mon)
維新の会の橋下さんの出自について、(悪い意味で)話題になっていますね。自分の人生には自分が責任を持ちますが、親や先祖を選ぶことはできません。親や先祖についてアレコレ言われてしまっても困りますよね。

先日、ある政治家のプロフィールをたまたま目にしたんですが、貧乏な中、苦学して、苦労してのし上がってきた人にはすごく共感するし、応援もしたくなりますよね。

僕も、政治家として、そういうエピソードがあった方がいいんじゃないかと思い、自分の半生を振り返ってみることにしました。

ウチは父親が郵便局員、母親が電話局員(のちNTT)で、両親公務員の、ごく普通の家庭で、今も両親健在です。ちなみに父親は郵便局を少し早めに退職して、町会議員と市会議員をしていたことがあります。さらに言えば、母方の祖父は村会議員でした。(地盤は全員違うので、いわゆる2世3世とはまったく異なります)

祖父が村会議員。
父が町会議員と市会議員。
僕が区議会議員。

この調子でステップアップしていけば、あと500年ぐらいすれば、小宮山家からアメリカの大統領が出てもいいんじゃないかという気がします(笑)でも、春子はともかく大吉は政治家向きの性格じゃなさそうですし、政治家にするつもりも別にありません。

という話をすると田舎の名士のように思われるかもしれませんが、僕の祖父(父方)は、戦後の農地解放で土地を貰ったほどの由緒正しい小作人の百姓です。

僕が小学校3年生の頃、自宅を新築したのですが、その際、両親から、当時1千万円程の住宅ローンの返済計画表のようなものを見せられて、「この家を作るのにお父さんとお母さんは1千万円も借金をした。この借金は、あと何十年も、お前が大人になっても払い続けなくてはいけない」と脅されました(笑)

もともと昭和一ケタ世代の父親が質素倹約を尊ぶ人で、無駄遣いはさせてくれなかったし、「ウチは借金があって貧乏なんだ」ということを事あるたびに言い聞かせられたので、ボクの家は貧乏なんだとずっと思い込んでいました。

家庭の事情で実際にお金がなかったこともあったそうですが、なんだかんだいってダブルインカムだったわけですし、今にして思えば、貧乏でニッチもサッチもいかないということはなかったように思います。

オモチャはあまり買ってもらえませんでしたし、服は兄のお下がりばかりでしたが、本だけは惜しみなく買ってもらいました。

heiwa4.jpg
僕は26歳で写真を始めて、20代の終わりごろには、写真作家で食っていきたいと本気で思っていました。写真作家とカメラマンがどう違うのかというと、画家とイラストレーター、小説家とライターの違いのようなものです。アートなのが写真作家で、ビジネスなのがカメラマンです。

とはいっても、当時も今も日本には写真をアートとして売買する文化はほとんどありません。写真マーケットのあるアメリカに渡ることも視野に入れながら、僕は、中野サンモールや、原宿表参道や、井の頭公園などの路上で作品を売り続けました。2~3年で100万円ぐらいの売り上げをあげたこともありましたが、それだけではもちろん生活できず、結婚式のカメラマンなどをして食いつないでいました。当時は風呂なしアパートに住んで、ホントに貧乏してましたが、でも、写真展を開いて賞を貰ったりとか、無茶苦茶充実してました。

当時の僕は、政治とはまったく違う方向を見ていたので、パン屋にパンの耳を貰いに行ったら怪訝な顔で断られたとか、カメルーン人2人と5畳間で暮らしていたとか、日本にいるカメルーン人の半分と顔見知りだったとか、「バラ色の珍生」というテレビ番組から取材の問い合わせが来たとかの貧乏?エピソードはあっても、それが政治家として、共感を得られて、応援したくなるかというと、どうもちょっとあやしいんですよね(笑)

もうちょっと、何かいい苦労人風のエピソードは無いものか、自分の半生を振り返ってみたら、とてもいいエピソードが見つかりました。

-つづく-
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